鎌倉時代に、積翠寺を拠点に修行していた養曽半曽坊が発見したと伝わる積翠寺。山梨三大古湯の一つに数えられ、また戦国武将・武田信玄公の隠し湯でもあり、信玄公が誕生した積翠寺の裏手に位置し、傷病兵の治療や戦の疲れや傷を癒す為に利用した要害山の中腹に湧く18度〜20度の低い鉱泉。当時は焚き火に当たりながらのあぶり湯という湯治法が用いられた。JR甲府駅から車で約20分。要害山の麓、標高780mの、深い山々に抱かれた温泉。1521年に、現存する積翠寺の井戸水を産湯に武田信玄がこの地に誕生。信玄公が生まれ、居城として住んだ山城・要害城より名前をいただいた当館は、要害の名の通り三方向を険しい山に囲まれ、正面の見晴らしは遠く南アルプスはじめ甲府盆地が一望できる。温泉の泉質はアルカリ性単純泉(収歛性緑ばん泉)。温泉の効能はリウマチ、神経痛、腰痛、関節痛、脊髄病など。
【開湯日】
武田信玄の隠し湯で知られる(詳細は不明)
【温泉の泉質】
アルカリ性単純泉(収歛性緑ばん泉)
【温泉の温度】【源泉のpH値】
18度〜20度 7.8の弱アルカリ性
積翠寺温泉 アクセス
●JR中央本線➡︎タクシー➡︎約15分➡︎積翠寺温泉
●中央道➡︎甲府南IC➡︎車➡︎約40分➡︎積翠寺温泉(武田神社➡︎車➡︎約10分)
●中央道➡︎甲府昭和IC➡︎約40分➡︎積翠寺温泉
積翠寺温泉 近くの観光スポット【大室古墳群】
武田信虎は、永正16年(1519年)に居館を躑躅ケ崎の地に移した。翌年、詰の城として要害山城を築いた。大永元年(1521年)に今川の将、福島正成が1万5000の兵を率いて甲斐へ侵入し、ここを根城に国内を暴れ回った。信虎方は死にもの狂いで今川勢を押し返した。また大井夫人は出産控えて、戦の難を避けて要害山城に入った。戦乱のさなから誕生したが後の武田信玄である。山頂の本丸跡には、武田信玄公誕生の地と刻む石碑が建ち、武田氏滅亡後の今も山城の遺構をとどめている。要害山は国指定史跡。