江戸時代前期に、別府で初めて明礬を作ったのは渡辺五郎右衛門だった。明礬の製造そのものは幕府が渡辺家に特許を与えて保護し、後に脇家に任せていました。天保の改革(1830年)の際に、幕府は製造を中止し、森藩の直営となった。幕末には、山奉行岩瀬謙吾が藩の代表として明礬製造を支配したが、明治維新からは大分県の直営になり、外国からの新技術を取り入れた他県産のものや輸入品に押され、明治17年に湯の花製造と旅館の開業に転向した。明礬地域は湯治場として発展していきます。皮膚病に効くという湯の花が評判と相まって、昭和10年代と戦後の一時期、明礬温泉は黄金期を迎えた。温泉の泉質は酸性硫化水素泉、緑ばん泉。温泉の効能は神経痛・リューマチ・皮膚病etc。
⚫明礬温泉近くの観光スポット【湯の花小屋】
別府で最も高い場所にある明礬温泉に立ち並ぶ、礬温泉地区は相当な地熱地帯。地下30kmあたりにはもう温泉脈があり、地表から勢いよく温泉ガスの蒸気が噴出している。約50棟のわら葺き屋根の小屋で、江戸時代より約300年つくり続けている。世界唯一のこの小屋方式から生まれる湯の花は、他生産の硫黄華とは根本的に品質が異なり、小屋方式のこの製法も世界ではここだけ。